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第6回 自然法は憲法典を超えて――田上穣治『自由権・自治権及び自然法』

一 著者について

1.自然法論者としての田上

 今回取り上げる田上穣治『自由権・自治権及び自然法』(有斐閣、1946年。以下、「本書」と呼ぶ)は、奥付に記載された発行日こそ「昭和二十一年十二月十日」であるが、「序」には「昭和二十一年七月」との記載があり、形式的には明治憲法下の著作である。そしてそれ以上に、論文集である本書は、全て昭和19年以前に執筆された諸論文によって構成されている。にもかかわらず「戦後憲法学・再読」と銘打たれた本連載で紹介するのは、本書の「序」において、田上が次のように述べているからである。 

著者は〔第90回帝国議会において審議されている〕政府の憲法草案が従来の憲法の根柢を覆すものではなく、その意味で新憲法の制定といふよりも憲法の改正といふべきものと考へるが、これに伴ふ各般の立法は従来の憲法のもつ民主主義或は自由主義の発展でなければならない。(序3頁*1

 したがって、敗戦とそれに伴う憲法典の交替は、田上にとって本書の価値をいささかも減じさせるものではなかった。実際のところ、憲法制定議会の審議が進行中の「昭和二十一年七月」にその序を執筆し、すでに新憲法が公布されている「昭和二十一年十二月十日」に本書を発行したという事実は、自身の憲法学――しかもその多くは戦時中に書かれたもの――が新憲法の下でも通用するという田上の並々ならぬ自負を表していると言えよう。

 それでは、何が田上にそのような自負を与えていたのだろうか。それは、実定法の変転にも拘らず変化することのない自然法秩序が存在し、自らの憲法解釈はその自然法を基礎に据えているのだという認識である。

終戦後の我が国は戦時下の指導理念を一擲し、政治と共に各般の法制が一新されつつある。もし法律実証主義の立場をとるならば、従来の法律学はその対象を喪失し、夙にキルヒマンが指摘する如く法律学の価値なきことを歎じなければならぬであらう。これに反して実定法秩序の上に或はその前提として自然法秩序を認めるならば、法律学はかかる歴史の転換期にあつてもなほ揺がざる基礎をもつのである。(序1頁)

 後に田上は、一方で大日本帝国憲法の「改正」はその限界を超える新憲法の制定であったとしつつ、他方では新旧両憲法の基本原則は継続していると解するようになる*2。このような田上の学説は、彼が初代理事長を務めた比較憲法学会によって設けられた「田上穣治賞」などにその名前は刻まれているものの、現在では一般に忘れられているように思われる。そこでまずは、彼の生涯について簡単に振り返っておこう。

2.生涯

 田上穣治(1907-1991)の生涯について、年表をもとにまとめると次のようになる*3。すなわち、明治40(1907)年1月12日に静岡県三島市に生まれた田上は、徳島中学校・第一高等学校を経て昭和5(1930)年に東京帝国大学法学部を卒業すると、同助手として美濃部達吉に師事した後、東京商科大学(現一橋大学)助手や同大学附属商学専門部教授などを経て、昭和13(1938)年に東京商大助教授、同17(1942)年には同教授に任じられる。なお、東京商大は昭和19(1944)年9月から同22(1947)年3月まで東京産業大学へと改称しており*4、本書における田上の肩書も「東京産業大学教授」となっている。昭和24(1949)年5月に一橋大学が設立されたことに伴い、田上は同26(1951)年に一橋大学法学部教授兼東京商科大学教授に任じられ(なお東京商大は昭和37〔1962〕年に廃止)、昭和45(1970)年3月に退職するまで38年間に亘り東京商大・一橋大に勤め上げた。その間、憲法調査会委員や日本公法学会理事を務めるほか、昭和36(1961)年には『警察法』(有斐閣、1958年)によって東京大学から法学博士の学位を授与されている。一橋大退官後は、明治学院大学法学部教授・亜細亜大学法学部教授を歴任、昭和47(1972)年には紫綬褒章を受章している。平成3(1991)年10月22日に死去*5。享年84歳。

 さて、田上の人となりを語る上で欠かせないのがクリスチャンであったという点である。すなわち、彼の叙述に従えば、「大正15〔1926〕年、旧制第一高等学校において岩元禎先生*6から哲学の時間にキリスト教の神学的思惟を学び、これにより深い感銘を受けて昭和4〔1929〕年キリスト教に入信した」という*7。田上は自らの憲法学の基礎に「聖書の教義」があることを認めており、その内容は「憲法の論理と神学的弁証法」として彼の教科書にも掲載されているが、上で述べた自然法論への立脚がかかる教義に基づくものであることはそれを一読すれば明らかである。しかし同時に、田上の自然法論は、戦後憲法学の主流――例えば芦部信喜のそれ*8――とは趣を異にするものであった。この点については三で触れることにするが、その帰結が「君主性〔ママ〕について、相対的に憲法上統合の象徴として価値ある原則と定めており、戦争の放棄については自衛権を認めるべきものと解する」*9という解釈論であったことが、彼を戦後憲法学における忘れられた存在にしたことは否定できないであろう。

二 内容

1.構成

 すでに述べた通り、本書は戦前に公表された諸論文による論文集であり、具体的には、「憲法解釈の自然法的色彩」(1934年)・「自由権の本質」(1934年)・「欧洲に於ける主権の概念」(1937年)・「地方自治の意義」(1939年)・「地方制度改革の動向」(1944年)・「立法事項について」(1943年)・「警察法の歴史的習俗的性格」(1941年)・「非常大権について」(1942年)から構成されている。その内容は、田上自身によって次のようにまとめられている。

従来の我が憲法は、実際の政治に於いて著しく歪曲されたのに拘はらず、その根柢には自由主義的立憲主義的原理を堅持するものであつた。本書では先づ我が憲法に於いて自然法的解釈が必要なることを指摘する。更に憲法の認める自由権の本質は人権であつて、超実定的な自然の自由を前提とすべく、又地方団体の自治権は元来憲法上の明文なかりしに拘はらず、憲法的慣習法によるもので、従来と雖も法律を以て奪ふべからざるものと解するのである。警察法の歴史的習俗的性格もこの自由権の法理と不可分の関係をもつ。ただかくの如き見解に対しては、常に反対の学説があり、主権の最高絶対性を強調し、自由権・自治権は単純なる実定法上の制度であつて通常の立法により自由に改廃するを得べく、殊に戦時または国家事変に於いては広汎なる授権により独裁的措置が適法に行はれるものと主張されたのである。本書の論文中「地方制度改革の動向」「立法事項について」「非常大権について」はかかる傾向に対する著者の見解を示すものである。(序2-3頁)

 以下では、本書における「総論」に該当すると思われる「憲法解釈の自然法的色彩」・「自由権の本質」・「欧洲に於ける主権の概念」・「地方自治の意義」を中心として、本書に特徴的な主張を見ていくことにしたい。なお、すでに述べたところから明らかであると思われるが、本書における「(日本の)憲法」とは全て大日本帝国憲法を意味していることに注意されたい。

2.自然法論

(1)自然法論と実証主義

自然法的国家論は元来国家と法の関係を説明せんとするものである。中世にあつては一方に於いて教会の権力が単純なる法秩序の彼方にその基礎と目的とを有し、法に対して独立であつたのと同じく、国家も亦法的基礎の他に倫理的若くは自然的必然性に拠るもので、それは自ら法を創造するものと解された。併しながらかかる思想と同時に他方に於いて国家より独立な法を主張するゲルマン思想が認められ、これは国家が法の理念に奉仕すべく、国権に法的限界ありとするものであつた。ここに国家と法と何れが先行するかの問題が提出されたのである。(1頁)

 かかる「問題」について、第一次大戦以前の公法学においては実証主義的国法論が著しかったとされる。ここで「実証主義的国法論」とは「法に独自の存在・価値あることを否定してこれを国家が定立し若くは承認する規範と解し、又国家の統治権を法の外に存する社会学的実力として前提する」立場を指すが(13-14頁)、かかる「ラーバンド・ケルゼン流の論理的形式主義」によれば自然法は当然否定されることになる。しかし、戦間期に入るとこのような実証主義は徐々に批判されるようになり、スメントやシュミットに代表される「新しい傾向」が示されることになるという。すなわち、スメントについては「超国家的目的による統合は自然法を想起せしむるもの」とされ(15頁)、シュミットについては彼の「〔ブルジョア〕法治国の原理には自然法が極めて明瞭に表はれる」とされるのである(17頁)。

 それでは、先の「問題」に対する田上の解答はどうだったのだろうか。この点について、彼は「私は結局中世に既に試みられた自然法による説明が正当であると信ずる」と断言し(2頁)、ここに本書の基本的な立場が明らかにされる。そして、田上によれば、このような自然法は憲法解釈に対し、「立法権に表はれる主権が他律的拘束に服すること」及び「所謂自由権(或は基本権)に関する具体的な規定が行政権のみならず立法権をも制約すること」という影響を及ぼすことになるという(13頁)。そこで以下、それぞれの影響について具体的に見ていくことにしよう。

(2)法治国思想

 まず主権の他律的拘束についてであるが、これは具体的には「立憲制度の批判」と「憲法改正権の限界」を意味する。ここで「立憲制度」とは「法律の支配(Herrschaft des Gesetzes)」を指すようであるが、法律の支配が認められる根拠は「法律が同質なる国民の自律的理性を満足せしむることは、それが各人の理性の光に自明なる自然法に合致することを意味する」からである。ただそのためには「すべての見解動向について議会の多数を制する機会が無条件に均等なること」が要求されるところ、「この信念は現在かなり動揺してゐる」。その結果、「憲法上君主の独裁大権・国民の基本権の規定が設けられ、又裁判所による法律の実質的審査権が論ぜらるる」ようになっている。こうして、田上のいう「立憲制度の批判」は「法律の支配を制限するに至るのである」(20-22頁)。また、「憲法改正権の限界は実証主義の下に立法権万能の時代に於いて、容易に看過される所である」が、「第一に憲法自体の同一性乃至は連続性は改正に当つても常に維持されなければなら」ず、「第二に間接の憲法改正、いひかへれば直接の憲法改正を憲法改正法律を以て回避することは、すべて憲法違反である」ため、憲法改正権には限界が存するとされる(24頁)。

 このように、主権といえども無制約ではなく「神法(ius divinum)又は自然法(ius naturale)の制約を免れ」ないとすれば(81頁)、かかる思想は「国家に先だつ人権乃至は国家以上の内容的な自然法を認める」法治国思想と重なることになるだろう(9頁)。

国家権力に対して個人の自由を保障する法治国の思想は、……主権乃至憲法制定権の思想とは本来反対の傾向に属する。それは……国家の政治的存立よりも現存の法秩序及び個人・団体の既得権を尊重する思想である。(29頁)

 そして、かかる法治国思想が、自由権による立法権の制約を導くことになる。すなわち、法治国思想の根本原則の一つは「個人の自然の自由が原則として尊重さるべく、これを侵害する国家の機能は制限を蒙むるとする配分の原理(Verteilungsprinzip)であつて、それは殊に臣民の基本権を強調してここに立法権の限界を要求する」のである。例えば、「スメントによれば、……基本権の規定が法原理に止まる場合にも、立法権を拘束し裁判所に於ける利益較量の標準となり、法律がこれと抵触するときは違憲の効果を生ずる」こととなり、「カール・シュミットは基本権を超国家的な人権と解する」ため「〔基本権の〕規定は憲法改正の法律を以てするも動かすことが出来ない」こととなる(32-33頁)。

3.諸論点

 さて、このような意義を有する自然法論であるが、その解釈上の諸論点は上に挙げたもの以外にも様々である。

(1)自由権と自治権

 まず自由権についてであるが、そもそも「自由権の本質は個人の消極的すなはち自由なる身分(status libertatis)に存する。そしてゲオルグ・エリネックに代表される法律実証主義の学説は、自然の自由なる超実定的概念を認むるに拘はらず、これを個人の法律上無関係なる行動の範囲として権利内容たることを拒否し、その結果、国権がこの身分に加へる制限に関してのみ、自由権の成立を論じてゐる」(48頁)。この立場によると、「自由は当初自然法学説が主張せる人権とは異り、それ自身は請求(Anspruch)を意味せず、何等これに対応すべき義務なきもの」となる(50-51頁)。それに対し、「自然法の思想は常に一定の内容の自由を予想してゐるのである」(56-57頁)。その結果、「要するに所謂自然の自由は一定の法的内容を有し、それは当然に、国家に対する不作為請求権と結合する。従つて自由権は単一不可分であり、しかも訴権を俟たず自然の自由に基づいて存在する実質的請求権である」ということになる(60-61頁)。ここにおける「単一不可分」の自由権は、戦後、日本国憲法13条が「一般的自由権」を保障しているという解釈論へとつながっていくが*10、かかる「一般的自由権」説の背景に田上独特の自然法論が存在していたことは注意されてよいだろう。

 次いで自治権について。自治の概念には法律的意義(「団体自治(körperliche Selbstverwaltung)」)と政治的意義(「公民自治(bürgerliche Selbstverwaltung)」)とが区別されるところ、「従来の法律実証主義」によれば「国が定立する実定法に考察の範囲を限定し、自治についても政治的概念は法律的意味なく、自治の本質を地方団体の法人格及び自治権が実定法によつて承認されることに」求められることになる(131頁)。それに対し、「私は自治の両概念の本質的な関連を論究することによつて、初めて地方自治の意義を明かにすることが出来るものと考へる」と田上は言う(94頁)。それでは、地方自治の意義とは何か。田上の見解は、次の通りである。

要するに法律的意義の自治が公共団体による行政なる以上国家とは独立の意思機関により且つ独立の利益に基づいて行はれる。そしてこの独立の利益は地方団体にあつては固有事務の範囲を意味する。それは第一に、地方団体がその一般の権能に基づいて当然に行ひ得べく特別の法律規定を俟たざるのみならず、第二にこれに対する監督は機関監督の如き強力なものたり得ない。(95頁)

 もとより、我が国の解釈学説においては「地方団体の独立を個人の自由権の如く当然に自然法的に基礎付けるものとは限られ」ないけれども、田上によれば「地方団体の自治権はこれに固有のもので国家はこれを承認するに過ぎざるものとする学説」の採用が主張されているようである(104頁)。ここで興味深いのがその帰結である。すなわちそれは、「地方自治の基礎は憲法が暗黙に承認せるところと解する他はなく、従つて独逸共和国憲法第127条*11の如き明文の規定なくとも自治組織の保障(institutionelle Garantie)を認めなければならぬ」、換言すれば「法律を以て地方自治を制限するもその本質を奪ふことを得ず」というものであった(106頁)。

(2)組織及び法制の保障

 田上は、シュミットの手になるこの「組織及び法制の保障(institutionelle und Instituts=Garantie)」に関する議論を、地方自治の場面以外に、すでに述べた自由権(基本権)による立法権の他律的制約という文脈でも論じていた。

立法権万能の実証主義的法制にあつては自由権が国の立法権に対抗出来ない……が、上述の如く立法権も亦他律的制約を蒙むるとする自然法的法律観に於いて、自由権は再び本来の超国家的人権に復帰すると同時に、それは民主主義の制約を受けここに法制の保障及び組織の保障に関する基本権が発展するに至る。すなはち立法権に対する信頼が減じ且つ社会的留保の必要が認められると共に、自由権を保護する法制及び組織(Schutznormen und Schutzeinrichtungen)自体が保障されることになる。それは個人の自由を直接保障するものではなく、ただ法制又は組織の保障の限界内でこれに保護を与へるのに過ぎない。(34頁)

 ところで田上の制度的保障論理解については、近時、とある「論争」の主題となったことでにわかに注目を集めた。それは石川健治と毛利透との間で戦わされたのであるが*12、あいにくそれを論評する能力を筆者は持ち合わせていない。ここではただ、先の一般的自由権説と合わせて、田上憲法学がなおアクチュアリティーを持ち続けているという事実を指摘するにとどめる。

三 田上の憲法学

1.キリスト教

 それでは、その田上憲法学とはそもそもどのようなものだったのだろうか。この点については、一橋大の行政法講座における田上の後継者である市原昌三郎による簡にして要を得た紹介があるので*13、それを参考にしつつ概観してみよう。

 すでに一で述べたように、彼の自然法論の基礎には「聖書の教義」があった。それでは、かかる「聖書の教義」からどのような憲法学が導かれるのであろうか。この点について田上は、次のように語っている。

憲法の論理は人権を中心とする人類普遍の原理であって、憲法その他の実定法を超越するものである。けれどもこの自然法は、人の理解を超えた非合理的なもので、理性によっては矛盾と思われる絶対の原理である。これに対して理性による相対的な次元では個人の自由が主張されるが、それは同時に濫用を伴い、公共の安全と秩序によって限界づけられる。国連憲章の認める国際社会の平和もまたカントのいわゆる理性の必然であるが、他国の侵略によって脅かされれば、自衛権をもって対抗するほかはない。国内の治安については、警察力により公安の維持をはかる要がある。(中略)要するに法の世界は不完全な平均人を基準とし、絶対の価値の次元からすれば、矛盾を免れない。法および政治の行われる現実の世界では自由と平等についても制限を受け、個人の自由を尊重する内心の生活および市民社会においては自由を原則とするが、全体の政治については平等の原則を中心とする。反対に個人の自由を極端に認めれば秩序は失われるが、平等を広く認めるならば各人の自由は殆ど無視される。両者を満足させることは絶対の世界においてのみ可能であり、世界歴史の審判をまつことになる。これはもはや法と政治の領域ではない*14

 そうであるとすれば、彼の眼に戦後憲法学の主流派は、自然法という「絶対の原理」を神ならぬ人の世界(=「法および政治の行われる現実の世界」)で実現しようとするものに映ったであろう。

 このような「戦後の田上憲法学」の特長は、市原によれば、「憲法解釈学がその性格上ややもするとおちいり勝ちな恣意的、政治的、主観的解釈をさけるため、価値相対主義の立場に立って、基本権の保障、国民主権主義、国際協調主義など日本国憲法の基本原理を調和的に適用すべきことを主張し、比較法的考察を重視したことである」という*15。これは要するに、ある一つの価値や原理の絶対視を否定する点に田上憲法学の本領があるということを意味していよう。

従来の経験によっても、多くの憲法論議は、憲法の基本原則をどのように調整するかに関するものが多いが、一部論者は自分の結論に適する基本原則を選び、他の基本原則との関係を考慮しない傾向がみられる。基本原則は、相互に性格を異にするものであるが、一般には、自衛隊の問題は国際協調の原則によって、結論をだし、基本権の保障および国民主権の原理は、これを軽視するように、あらかじめ想定した結論に適合する基本原則を選択するものが多い。けれども基本原則は、常に三原則を通じて尊重すべきであり、具体的な問題によって、基本原則を異にする解決は、憲法の体系からみて、とることができない。これは、特定の政党に迎合することでなく、もっぱら憲法の目的論的解釈上当然に要請されると思う*16

 一見すると立場を異にするようにも見える兄弟子の宮沢俊義について、「宮沢さんの学問の立場を私は尊敬する」と田上が語る*17のも、その価値相対主義とそれに基づく「寛容の精神」の故であった。

2.美濃部憲法学

 ここまでは、田上憲法学の根底にキリスト教が存在したことを述べてきたが、彼は自らの学問にはもう一つの基礎があったと語っている。それが、田上の学問上の師であり、東京商大で長く兼任教授を務めた――その意味で彼の先任者に当たる――美濃部達吉の憲法学にほかならない。

昭和2年、東京帝国大学法学部において美濃部達吉先生から憲法学を学び、ここに国民各個人の自由と平等は国権によってみだりに侵すことができず、国家は国民のためにあることを教えられ、また君主制のわが国にあっても天皇の神聖は、国民全体の福祉をもたらすことにおいて伝統的な価値をもち、このため民主制と矛盾しないことを教えられた。(中略)この間にわが国は敗戦によって明治憲法から日本国憲法に改められ、憲法の理論は著しい変革を蒙ることになったが、著者の信仰と両先生〔=岩元と美濃部〕から受けた価値観は変らず、憲法の条文を解釈する原理は戦前から戦後にわたって著しい変動を受けなかったのである*18

 このように語る田上は、美濃部憲法学の裡に自然法論を見出している。

憲法撮要第五版〔美濃部達吉『憲法撮要〔改訂第5版〕』(有斐閣、1932年)〕の序において、先生は次のように述べられる。(中略)実定法としての憲法を明らかにするためには、歴史的事実を観察することが絶対の要件であり、事実を外にして単に制定法規の正文のみによって憲法を判断しようとしても、それは現実とかけ離れた空論たるに止まるであろう。けれども事実が直ちに法たる力をもつとすることも極端に失するもので、事実とともに条理が実定法を構成する重要な一要素たることを忘れてはならない。いわゆる条理はある時代の社会において社会的正義および社会的利益の要求として法律上必ずこうしなければならないと意識されるところを意味する。それは時代によって変遷すべきものであるが、一種の自然法といえる。(中略)ここで先生が事実の力といわれるのは、主として立法、行政および司法の運用の実態であり、社会的正義ないし利益と条理は、主として民主政治、人格主義の世界観に通ずるものと解して、多く誤るものではなかろう*19

 このような田上の主張を敷衍すれば、戦後に美濃部が大日本帝国憲法改正に反対した理由を、彼の条理=「自然法」論に求めることもできるように思われる。美濃部もまた、田上と同様に、自然法の高みから人の世を見下ろしていたのだろうか。

*1:本文中の頁数はすべて本書からの引用である。

*2:参照、田上穣治『新版 日本国憲法原論』(青林書院、1985年)55頁。

*3:いくつかのヴァージョンがあるが、ここでは「田上穣治先生略歴」亜細亜法学18巻2号(1984年)257頁以下、のみを挙げておく。

*4:参照、一橋大学『一橋大学年譜Ⅰ』(一橋大学、1976年)197頁、一橋大学学園史刊行委員会編『一橋大学年譜Ⅱ』(一橋大学学園史刊行委員会、2004年)21頁。

*5:比較憲法学研究4号(1992年)153頁には「田上穣治先生は、平成3年10月24日逝去された」とあるが、カール・ヘルマン・ウーレ(鈴木秀美訳)「George Tagami氏との出会い」「法と正義」編集委員会編『法と正義』(比較憲法学会、1993年)259頁によれば、田上夫人からの手紙には「George Tagami氏が1991年10月22日に逝去された」旨が記されていたということなので、本文ではこちらを採用した。

*6:「偉大なる暗闇」と渾名された一高の名物ドイツ語教師である。参照、高橋英夫『偉大なる暗闇』(講談社、1993年)。

*7:田上穣治「はしがき」同・前掲注(2)頁数なし。

*8:参照、芦部信喜『憲法制定権力』(東京大学出版会、1983年)。

*9:田上穣治「新版はしがき」同・前掲注(2)頁数なし。

*10:参照、宍戸常寿『憲法 解釈論の応用と展開〔第2版〕』(日本評論社、2014年)16-18頁。

*11:「市町村及び市町村組合は、法律の制限内で自治の権利を有する」(高田敏=初宿正典編『ドイツ憲法集〔第7版〕』〔信山社、2016年〕139頁〔初宿訳〕)。

*12:参照、毛利透「制度体保障と国家」Historia Juris 10号(2002年)216頁以下、石川健治『自由と特権の距離〔増補版〕』(日本評論社、2007年)281頁注(6)。

*13:参照、市原昌三郎「一橋と公法学」一橋論叢93巻4号(1985年)57頁以下。

*14:田上・前掲注(9)。

*15:市原・前掲注(13)60頁。

*16:田上穣治「はしがき」同『憲法の基本原則』(有信堂高文社、1976年)4-5頁。

*17:田中二郎ほか「宮沢俊義先生の追憶」自治研究52巻12号(1976年)31頁。

*18:田上・前掲注(7)。

*19:田上穣治「美濃部達吉先生の憲法学」一橋論叢49巻4号(1963年)46頁。

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