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第1回 ある「戦中派」の戦い――佐藤功『君主制の研究』

はじめに

 学部生や法科大学院生の皆さんが、戦後憲法学の「権威」と聞いて思い浮かべる名前は一体誰だろうか。やはり芦部信喜(1923-99)だろうか、あるいは樋口陽一(1934-)だろうか、はたまた佐藤幸治(1937-)であろうか。しかし、彼らよりも上の世代に当たるこの人物を忘れてはならない。本日の主人公、佐藤功(以下「佐藤」と書いた場合は彼を指す)である。

 佐藤と言えば、まず思い浮かぶのは、やはり2冊本のコンメンタールであろう(『憲法(上)(下)〔新版〕』〔有斐閣、1983~84年〕)。辛口の安念潤司をして「憲法全般について最も信頼すべきもの」*1と言わしめる本書は、公刊から30年以上を経た現在もなお、学界の「権威」として君臨していると言ってよい。また、日本公法学会理事長(1980・10~1986・10)や紫綬褒章受章(1982・11)といった輝かしい経歴からも、佐藤については、れっきとした戦後憲法学のメインストリームに位置する学者であると言ってよいだろう。

 けれども、冒頭の問いに対して「佐藤功」と答える人があまりいないとすれば、それは一体なぜなのだろうか。例えば、先ほど挙げたコンメンタールが佐藤の「最大の業績」*2であると言われるけれども、それは裏を返せば、専門分野における研究が陰に隠れてしまっている可能性を示唆するのかもしれない。あるいはまた、先ほどは「学界の『権威』として君臨している」と書いたけれども、学部生や法科大学院生のような若い方々にとって、教科書(『日本国憲法概説〔全訂第5版〕』〔学陽書房、1996年、初版は1959年〕)はもとより、彼のコンメンタールを手に取ることすらもはや稀になっているのかもしれない。

 佐藤自身についてはそうであるとして、それでは、今回の対象である彼の『君主制の研究――比較憲法的考察』(以下「本書」という)についてはどうか。この点、本書について高見勝利は、かつて佐藤が「やや寂しげな表情で、『日本でよりも、むしろ、外国で評価されているんだよ』」と語っていたことを証言した上で、次のような評価を下している*3

この作品では、天皇制の問題が比較君主制度論の中に解消され過ぎている嫌いがあるが、しかし、先生の意図は、まさに「明治憲法の神権天皇制のためにいわばタブーとされていた」憲法学の立場からする君主制研究の空白を埋めることにあったのである。その意図は達せられたものの、学界では後続研究に乏しく、田中二郎編集代表『日本国憲法体系(3)統治の原理〔宮沢俊義先生還暦記念〕』(有斐閣、1963年)に寄せた「君主制と共和制――君主〔制〕的なものと共和制的なもの」とともに、現在に至るまで孤高を保っている。

 その前段についてはまた後で触れることとして、ここで重要なのは引用文の後段である。なぜなら、本書が辿ったこのような運命は、学生はおろか憲法学界内部においてさえ、本書が「忘れられた名著」であることを物語って余りあるからである。この点でも本書は、本連載の第1回に取り上げられるにふさわしいであろう。

一 人と作品

 もっとも、本書の内容に入る前に、まずは佐藤の生涯を簡単に振り返っておこう*4

1.戦前

 佐藤は、大正4(1915)年3月に、当時京都帝国大学教授であった佐藤丑次郎の三男として京都市で生まれた。昭和9(1934)年4月に東京帝国大学法学部政治学科に入学、宮沢俊義の初講義を聴き憲法学への関心を刺激された佐藤は、昭和12(1937)年に大学を卒業すると直ちに東大法学部助手に採用される。折しも天皇機関説事件のわずか2年後という時期に憲法学の門を叩いてきた若人に、宮沢はどのような思いを抱いたのだろうか。

 ところが、同年8月の徴兵検査で乙種合格となり、その年の12月から昭和15(1940)年12月まで入営を余儀なくされ、「北支」を転戦することになる。「戦中派」を語る上で逸することのできない軍隊生活について、佐藤は、「この三年間はおよそ学問の世界から、あるいは書物というものから絶縁をさせられた時代であり」、「この時期ほど学問に飢え、書物や活字に飢えたという時期はありません」と振り返るとともに、「私は幸いにして生きて帰ってきたわけですけれども、同じ戦場の私の右と左で戦友が撃たれて死んだということもあります。また、他の戦場でも死んだ同じ世代の多くの戦友たちのことを思い出します。そして、その死を、また犠牲を無にしないためには、この憲法の目標の実現ということに、学究として、参加することが私のなすべきことではないのか」として、これらの思いが自らの研究者生活を支えてきたと述べている。

 復員後、昭和18(1943)年5月まで助手として勤務。ところで佐藤は、すでに助手一年目に海外の研究動向を紹介する論文(「英米及び独逸憲法学界の近況」国家学会雑誌51巻12号〔1937年〕)を物していたが、本格的な論文としては復員後に執筆された「我が憲法史上に於ける憲法争議」(同誌56巻7号~10号〔1942年〕)と、助手論文である「ドイツに於ける憲法保障制度とその理論」(同誌57巻3号~8号〔1943年〕)が挙げられる。詳細は省くが、これらの論文は「憲法理論への強い関心とそれに基づく知的営為」であり、宮沢俊義の還暦記念論文集(『日本国憲法体系(1)総論Ⅰ』〔有斐閣、1961年〕)に寄せた「憲法の保障」をはじめとして、憲法保障制度への関心は戦後も一貫して続いていった*5。このことからも分かるように、教科書や註釈書から連想される堅実なドグマティカーというイメージは、あくまで彼の一面にすぎない。

 助手の任期終了後は、東大農学部講師(1943・10~1944・9)を経て、終戦を迎える。

2.戦後

 終戦後、佐藤を取り巻く環境は一変する。すなわち、まず松本烝治を委員長とする憲法問題調査委員会の補助員として(1945・10~1946・3)、さらに内閣法制局参事官として(1946・4~1948・2)、憲法制定過程に深く関与することになる。その成果は、佐藤初の著書である『憲法改正の経過』(日本評論社、1947年)にまとめられている。

 佐藤が官界から大学へと戻るのは、昭和24(1949)年7月に成蹊大学教授に着任して以降のことであり、その後は、上智大学教授(1967・4~1985・3)、東海大学教授(1985・4~1992・3)を歴任した。その間に特筆すべき経歴としては、「第1期改憲論議」が喧しい中、政府が設置した憲法調査会の専門委員を務める(1959・10~1965・6)とともに、それに対抗して設立された民間の憲法問題研究会(1958・6~1976・4)の会員として活躍していたことが挙げられよう*6。平成18(2006)年6月死去。享年91。

二 本書の内容

 続いて、本書の内容を見ていくことにする。なお、本書は昭和32(1957)年に日本評論新社から公刊され、昭和61(1986)年に日本評論社から復刊されている。今回用いるのは、私の手元にある後者のヴァージョンである。

1.動機

 佐藤は「はしがき」において、次のように本書の執筆動機を述べている。

私の本来の研究領域は憲法学であり、大学における研究および講義も主としては日本国憲法を対象としてきた。私が今まで世に問うたいくつかの書物も、すべて主としては日本国憲法の解釈に関するものであった。しかし日本国憲法の解釈のためには比較憲法の研究が不可欠であり、また憲法学の研究のためには隣接の学問、特に政治学の研究が不可欠であることはいうまでもない。私も学問生活の当初から常にそのことを意識してきたし、またこれらの領域に関する私の力の不足に常に気づいてきたのであった。そしていつかは何か比較憲法および政治学に関連する問題について研究をまとめ、それによってまた日本国憲法の研究にも役立たせたいと念願してきたのであった。(「はしがき」1頁*7

 この文章は、佐藤にとって本書の執筆が、脂の乗り切った齢40にして研究者としての飛躍を賭けた大きな挑戦であったことを窺わせよう。その熱量が本書にただならぬ迫力を与えていることは明らかであるが、この挑戦は功を奏し、佐藤は本書によって東京大学から博士号を授与されることとなったのである。

2.要約

 本書は「はしがき」や索引を除くと、序章・第一章「君主制の理論」・第二章「諸憲法における君主制の類型」・第三章「君主制の理由づけ」・結章「君主制の展望」から構成されている。

 各章の内容であるが、まず序章においては本書の問題意識が披露される。「すなわち君主制と共和制との区別を中心とする国家形態の分類論はギリシャに始まった国家学・政治学そのものとともに発生し」、「たとえばイェリネックによって集大成されたドイツ国法学が(中略)君主制と共和制との区別に関する緻密な理論を完成した」ものの、「君主の地位および権限の名目化」という歴史的方向において君主制が「変貌を遂げた結果、君主制か共和制かという問題はいちじるしくその重要性を失うこととなった」(7頁)。しかしこのことは、君主制研究に次のような新たな重要問題を生ぜしめることとなる。「すなわち、何故に君主が名目化し形骸化したのであるか、何故に君主制が政治的・実質的にその重要性を失ってきたのであるか、それらの経過が諸国の憲法の上にどのように現れてきたか、そしてまたそれならば今日において君主制のレゾン・デートルはどこに求められるべきか」(10頁)がそれであり、これが本書の問題意識でもある。

 第一章においては、国家形態を君主制と共和制とに二分する「イェリネックによって代表されるドイツ国家学・国法学における国家形態分類の方法」(14頁)が検討されるが、その結論として、「彼らによる君主制のメルクマールは抽象的・形式的なものとならざるをえなかったのであ」り、「君主制の実体を捉える」ためには「ドイツ的国家学・国法学における君主制の法律学的・法律的考察」にとどまらない「比較憲法的・比較憲法史的考察」が必要であるとされる(40-41頁)。

 その「比較憲法的・比較憲法史的考察」が具体的に展開される第二章は、分量的にも全体の7割弱を占める本書の中心部分であり、英・仏・独・ベルギー・北欧三国(ノルウェー・スウェーデン・デンマーク)の諸憲法における君主制の歴史とその諸類型について、概ね「歴史的背景」・「君主の地位」・「君主の権能」・「君主制の特色」という項目に従って整然とかつ微に入り細を穿った考察がなされている。その様はまさに圧巻であるが、かかる考察を通じて得られた結論は、つまるところ、今日の君主制が次のような方向に進みつつあるという点にある。すなわち、一方で「国王の権能は、かりに憲法上国王の権能として認められているとしても、それは形式的な意味しかもたぬものとなっている」と同時に、他方で憲法上において「君主制そのものに矛盾する原理の方向を自ら容認」するような「デモクラティックな規定がみられる部分もあるということ」、これである(309-310頁)。

 さて、このように「実質的なデモクラシーが進展し確保され、君主制の重要性が失われた」とすれば、「にもかかわらず、しかもなおそれが維持されねばならぬとされる積極的な理由は何であるか」が問われなければならない。かかる「君主制の理由づけの問題」(316頁)が考察されるのが第三章であるが、ここで俎上に載せられるのが「君主の中立的・調整的権能の理論」と「君主の象徴性の理論」である。しかし、まず前者については、「国王を政治的紛争の当事者たらしめることともな」り、その結果「立憲君主制を危殆に陥れることともなる」という点に根本的な限界がある(341頁)。また後者については、「象徴としての国王は、それ自体としては無内容なものでありまた無価値なものであ」り、「象徴が象徴たりうるのはそれが象徴しようとするものが維持されるか否かに依存する」(350頁)のであるから、象徴性の理論は君主制についての積極的な理由づけにはならないとされる。

 ところで、そうであるとすれば、「社会秩序が進化すれば新しい必要が生じ、それに応じて君主制が象徴せんとするものも変化し、それに応じて君主制もまた変化しなければならない」ことになるため、「君主制がその時代の要求に応じうる限度というものが果して存在しないかという問題」が生じる(351頁)。結章においては、かかる「君主制の限界という問題」(352頁)が考察される。すなわち、君主制における正統性的根拠はマックス・ヴェーバーの言う「伝統的支配」か「カリスマ的支配」に収斂するが、「もはやこの二つのみでは、デモクラシーと合理主義との要求に対抗しながら政治権力を正統化することはできない」。そこで、「君主制が国民主権と結びつけられることが君主制を維持する唯一の道であるとされることになる」が、「それは同時に君主制が自己を否定するものに道をひらくことでもある」とされる(359頁)。日本国憲法の天皇制も、「国民主権を容認したという点」において「君主制の歴史的発展のいわば今日における極限の地位」にあり(369頁)、「かくして、日本国憲法の下における天皇制の今後の運命は、今日における君主制一般の運命をも暗示するものであるかのように思われる」(373頁)という文章で本書は締め括られている。

3.特徴

 本書の特徴として一点だけ取り上げるとすれば、君主制には「人間の感情や心理」がまとわりついており、その意味で「非理性的・非合理的なものである」(2頁)ことを正面から認めている点であろう。ここに本書が「法律学的・法律的考察」に飽き足らない所以もあるのであるが、「元首」の観念に関する考察における「『元首』という文字には『最高機関』という文字とは異なった歴史的・心理的側面があるのではなかろうか」(51頁)という言明などは、まさに「人間の感情や心理」に着目した一例と言えよう。そして、このような「人間の感情や心理」への着目が、とりわけ「君主の象徴性の理論」に関する鋭い洞察を生み出しているように思われる。なぜなら、「一般に象徴という観念は本来感情的・心理的なものである」(343頁)からである。

 もちろん、すでに見たように、象徴性はそれだけでは君主制の積極的な理由づけとはならないとされていたのであって、むしろ興味深いのは、君主の象徴性の「限界」についての記述である。すなわち、政治権力は権力的要素と正統性的要素の「緊張関係の上に成立する」のであり、「政治権力が自らの強化のために権力的要素を強く前面に押し出すと、それは人民をしてその正統性的要素を疑わしめ、その抵抗をひき起こす」。これを近代の君主制について見ると、「実質的な支配的政治勢力が、君主の権威・君主の名を借りることによって自らの決定を強行する」ことになれば、「君主制の正統性的根拠が喪失される」ことになりかねない。ここにおいて、君主制はその限界を露呈するとともに、「君主の象徴性もその限界を露呈する」(359-361頁)。

 そして我々は、これが抽象的な議論ではなく、当時の憲法改正論議の中で問題となっていた天皇元首化論を批判する文脈で語られていることに注意しなければならない。

天皇元首化論が、政治権力の正統性的根拠としての国民主権を揺り動かす性質をももつものであると考えるならば、この天皇元首化論は、日本国憲法については、いわば王政復古の意味をももつということになるであろう。このようにみれば、天皇元首化論の重要性はまさに絶大であるというよりほかはない。(372頁)

 2012年に作成されたある有力な憲法改正草案が天皇の元首化を謳っているということを考えるだけでも、かかる「天皇元首化論の重要性」の指摘は、本書公刊から約60年の時を経た今なお噛みしめられるべきであろう*8

三 本書の評価

1.同時代の視点

 本書が公刊されたのは1957年であるが、新憲法が制定されてまだ間がない時期だったということもあり、当時の憲法学界の業績は教科書や解釈論が中心で理論的なモノグラフィは必ずしも多くなかった。佐藤もまた、学界における教科書の過剰とモノグラフィの過少とを慨嘆していたことがある*9。しかし、その彼自身、解釈論上の著作(『日本国憲法十二講』〔学陽書房、1951年〕、『憲法解釈の諸問題(1)』〔有斐閣、1953年〕等)やコンメンタール(『憲法』〔有斐閣、1955年〕)をすでに公刊しており、それが上で紹介した「はしがき」にあるような自己理解を生み出していたのであろう。「何よりも先きに、きわめて着実な解釈法学者」*10と見られていた佐藤が本書のような著作を公刊したことは、それだけに、ある種の驚きを以て受け止められた節もある。しかしこのことは、当時においてすでに、理論家としての佐藤の姿が忘れられかけていたことを示しているのかもしれない。

 それはともかく、では、本書に対する公刊当時の評価はどのようなものだったのだろうか。「天皇元首化論が主張せられている今日、また従来特にわが国においては明治憲法下の神権天皇制の下で君主制の研究が少なかつたことからいつても、特別の意義がある」とは佐藤本人による自画自賛の弁であるが*11、小林孝輔と和田英夫もまた本書を高く評価していた。その際、本書のポイントを方法論の斬新さと君主制(天皇制)というテーマ選択に見出す点で、この両者は共通している。

 まず前者の方法論についてであるが、具体的には、「従来の憲法学者における法学的方法から一歩踏みだして、君主制の社会心理的・歴史的方法によつたこと」、あるいは、「豊富な文献資料を駆使して、政治的・社会心理的・歴史的なユニークな考察方法を多面的に使用しつつ、みごとに、生き生きとした筆致で、君主制の全像について分析と評価をなしとげている」点が評価されている*12。要するに単なる憲法解釈論ではないということであるが、これに対しては、「比較憲法的考察とは、比較的・歴史的考察のことであり、また比較憲法史的考察のことである」(6頁)という著者の意気込みにも拘らず、「制度と、その制度に関する公法学説を網羅的に叙述した労作である」にとどまり歴史学的に見れば不十分であるとの批判もあった*13

 続いて後者の君主制というテーマについてであるが、戦後10余年を経てようやく天皇制についての本格的な研究が物されたことは、憲法学界において、それ自体が寿がれるべき事象であった。

とりわけ、そのテーマが、「君主制の研究」という、教授の学問的系譜の師父にあたるべき美濃部博士にとっては――そして多かれ少かれその直接の師たる宮沢教授にとっても――いわば呪わしい悲劇的運命を招いた、あの「天皇機関説事件」に深い関連をもつことを想うにつけ、日本国憲法の生誕を画期的分水嶺としての、この国の学問的風土の大転換があらためて感慨深く印象づけられずにはおかないのである*14

 天皇機関説事件がわずか20年前の出来事だったということを想起すれば、当然の感慨であろう。佐藤自身も「憲法学の立場からの君主制の研究は、明治憲法下の神権天皇制のためにいわばタブーとされていたことによって、ほとんど見るべきものがない」(「はしがき」2頁)という現状に鑑みて本書の意義を強調していたのであるが、彼にとって、それは単に学問的な空白を埋めるにとどまらない意味を持つものであった。なぜなら、佐藤の研究者人生において、天皇制は最も重要な研究課題であり続けたからである。

2.天皇制へ

 佐藤は、折々で自身の研究課題として天皇制・「憲法の保障」・「憲法と政党」の三つを挙げているが、その筆頭は常に「天皇制の問題」であった。

明治憲法の時代、私が大学で憲法を勉強し始めた時期においては、天皇制の問題はまさにオフ・リミットの聖域でありました。(中略)天皇制の存在理由、その正当化、あるいはその歴史的な位置づけというようなことは、科学的な研究の名において、それを試みようとしても、厳しく弾圧されたわけであります。このような状況は天皇統治の基本原則そのものが否定された日本国憲法以後においては一変しました。これによって初めて天皇制が社会科学としての憲法学の対象となりうる条件が成立したわけであります*15

 もちろん、天皇制を研究するための条件が成立したからといって、実際に「天皇制の問題」が研究対象に選ばれるとは限らない。佐藤の場合はそれに加えて、憲法制定議会における「国体」論争を法制局参事官として間近で見ていたという経験や、天皇制に関する諸論文をすでに発表していたことなどが本書の背景をなしていたと考えられる。前者については言うまでもないが、後者についても、「象徴」の観念をめぐっては黒田覚と、また内閣の解散権をめぐっては小嶋和司・長谷川正安との論争が惹き起されるなど、当時の憲法学界におけるホット・イシューとなっていた*16ことが、本書の執筆意欲を高めたことは想像に難くない。

 しかしそれと同時に、佐藤にとって、そもそも「神権天皇制」という「国体」の消滅こそが戦後憲法学の出発点であったということも忘れてはならないように思われる*17。天皇機関説事件に苦悩する師の姿を目に焼き付けつつ戦地へと赴いた「戦中派」憲法学者にとって、天皇元首化論をはじめ「ややもすれば再び旧憲法的天皇制の思想が復活しつつあるかのよう」*18に感じられた当時、天皇制との「対決」がどうしても果たされなければならない仕事だったであろうこともまた、想像に難くないのである。

おわりに

 本書に対する評価としては、「はじめに」で紹介した「孤高を保っている」という高見勝利の表現が的を射ていると思われる。実際、その後の天皇制研究において本書の成果が生かされているという例はあまりないであろうし、私も、天皇制に関する論文をいくつか執筆したことがあるが、その度に本書をどのように取り扱ってよいかに困ってきたというのが実情である。たしかに、比較対象を7か国も挙げたことの代償としてそれぞれの国の論証が粗くなっているということもあるだろうし、そもそも約60年前に書かれたものである以上情報や文献が古くなっていることは否めない。そのような意味において、本書における具体的な叙述が現在においてなお非常に有益であるということは、おそらく期待しづらいであろう。

 しかし、仮にそうであるとしても、本書が顧みられなくともよいという理由にはならないように思われる。なぜなら、本書の意義は天皇制に関する「比較憲法的考察」を行ったことそれ自体にあるのではないかと思うからである。我が国における法解釈の作法において比較法的研究はきわめて当然のことであるが、こと天皇制に関してはその特殊性が強調されるあまり、他国の君主制と比較するという試みはあまり行われてこなかったのではないだろうか。しかし、天皇制を「万邦無比」であるかのように扱うというのは、研究のあり方としてはあまり健全ではないように思われる。「天皇制の問題は、日本の天皇制だけの問題としてではなく、君主制一般の問題として考えなければなりません」*19。本書は、「君主制的なもの」と「共和制的なもの」というものさしによって比較を試みる「君主制と共和制」論文とともに、天皇制の「比較憲法的考察」のための出発点となる研究として再読されるべきであろう。

 それでは、学生の皆さんにとってはどうか。この点、学生の方々は解釈論が展開されているテクストを普段から読んでいることと思うが、そのような著作においては、紙幅の関係もあって、そこで展開されている議論の歴史的・思想的背景まで説明がなされるというのはなかなか難しいというのが実情ではないだろうか。しかし、一見技術的な解釈論の背後には、それを支える豊饒な基礎研究の存在があることを忘れてはならない。本連載では、そのことを教えてくれる本書のような著作を、次回以降もご紹介できればと思っている。

*1:安念潤司「演習 憲法」法学教室291号(2004年)120頁。

*2:高見勝利「追悼 佐藤功先生」ジュリスト1325号(2006年)146頁。

*3:高見・前掲注2)145頁。

*4:以下の記述については、種々の「略歴」のほか、佐藤功「私と憲法と憲法学」東海法学9号(1993年)2頁以下による。

*5:参照、佐藤幸治「佐藤功先生の逝去を悼む」公法研究68号(2006年)284-285頁。

*6:詳細は、拙稿「第1期改憲論議を振り返る」法学教室416号(2015年)13頁以下の参照を乞う。

*7:以下、本文中の頁数は全て本書からの引用である。

*8:参照、奥平康弘「自民党『日本国憲法改正草案』と天皇」同ほか編『改憲の何が問題か』(岩波書店、2013年)60-64頁。

*9:参照、佐藤功「学界展望 憲法」公法研究13号(1955年)197頁。なお佐藤は、1953年(9号)から1963年(25号)まで、同誌の「学界展望」欄を担当していた。

*10:鈴木安蔵「憲法学の課題について」法律時報23巻4号(1951年)73頁。

*11:佐藤功「学界展望 憲法」公法研究17号(1957年)138頁。なお、同「学界回顧 憲法」法律時報29巻12号(1957年)6頁は、「なお不充分なものとはいえ、本書には若干の意義があるということが許されようか」とやや控え目である。

*12:小林孝輔「書評」青山経済論集9巻1号(1957年)125頁、和田英夫「書評」法律時報29巻9号(1957年)126頁。

*13:参照、中村哲「紹介」国家学会雑誌71巻12号(1957年)111頁以下。

*14:和田・前掲注12)122頁。

*15:佐藤功「日本国憲法四〇年に思う」上智法学論集28巻1・2・3号(1985年)27-28頁。

*16:「天皇の憲法上の地位」をテーマとする公法学会第12回総会の記録である、公法研究10号(1954年)がその熱気を伝える。

*17:参照、佐藤功「日本公法学会創立五〇周年に想う」公法研究61号(1999年)3-4頁。

*18:佐藤・前掲『憲法解釈の諸問題(1)』2頁。

*19:佐藤・前掲注15)28頁。

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